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第6話

Author: 伊桜らな
last update Last Updated: 2025-10-11 20:10:46

英司が病室を出た後、私はベッドに横になった。

横になりすぐに睡魔が襲ってきて目を瞑った。

夢の中で、哲也との初めての出会いが鮮やかに蘇るのは両親の葬儀の日のことだ。

冷たい雨が降る中、哲也は神宮寺家の代表として静かに現れた。黒いスーツに身を包み、祭壇に手を合わせる彼の姿は、どこか頼もしく、優しかった。

「美咲さん、妹のように思っている。だから、どうか無理をしないで」

その言葉は、凍てついた私の心に温かな光を差し込んだ。

その後も、哲也はさりげなく私のそばにいてくれた。疲れた日に淹れてくれる温かい紅茶、冗談を交わして笑い合う瞬間、初めて手を握ったときの鼓動。名前で呼ばれたときの心地よさ。

結婚することは、かつての私にとって最大の夢だった。あの頃の彼は、私を愛してくれていると信じていた。

だが、夢の中で彼の笑顔は次第に歪み、沙羅と手を繋ぐ姿に変わった。

沙羅の甘い笑み、哲也の冷たい視線がみえた。

『新しい芝居か?』

その言葉が、夢の中で何度も反響する。裏切りの痛みが、胸の奥で何かを音を立てて崩した。

***

目を覚ますと、病室はまた白い静寂に包まれていた。カーテンが風に揺れ、外の光が壁に柔らかな影を落とす。英司はベッド脇の椅子に座り、黙って私を見守っていた。その温もりが、嵐のような心を少しだけ落ち着かせた。

でも、心の奥ではまだ波が渦巻いている。私はお腹に手を当て、かすかな鼓動を感じた。この子を守るためなら、どんな困難も乗り越えられる――そう自分に言い聞かせる。

そのとき、病室のドアが静かに開く気配がした。

「兄さん……?」

だが、疲れで目を開けられず、声もか細い。温かい手がそっと私の手を握る。その感触はほんの一瞬で、すぐに離れた。不思議な安堵と、わずかな寂しさが胸を満たした。

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